愛情のサイズ

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愛情だなぁ。 
 
 
話を聞いてて思った。 
 
 
 
 
今日は、というか今日も 
仕事場に向かう電車の中で 
目をつぶって座っていた。 
 
寝てなくてもいつも電車では目をつぶっている。 
 
本も読まない、携帯も見ない。 
パソコン仕事で目を酷使してる我が身。 
少しでも休ませたい。 
 
 
目をつぶっていると、会話が聞こえてきた。 
どうやら、おばあちゃん同士の会話だ。 
(目をつぶってるから見えてないけど) 
 
会話の内容によると、 
今日、おじいちゃんのお見舞いに孫(9才の女の子)が来るらしい。 
 
昨日までは、おじいちゃんの身体に管(パイプ)が通っていたんだけど、 
9才の女の子ということで、おじいちゃんの姿をみて 
ショックを受けないように配慮して、管(パイプ)が外れる今日を 
お見舞いに来てもらう日にしたということだった。 
 
 
 
たぶん、女の子は、 
ずっと前から、おじいちゃんの 
お見舞いに行きたいと言っていたんだろう。 
 
おばあちゃんは 
おじいちゃんは大丈夫だからネ。とか理由を付けながらも、 
今日の日を待っていたんだろう。 
 
 
 
愛情だなぁ。 
話を聞いてて思った。 
 
 
 
今日、管(パイプ)が外れたということを 
女の子は知らず、おじいちゃんのお見舞いにいく。 
 
それは知る必要もなく、知らせる必要もないこと。 
おじいちゃんの元気そうな姿をみせたい。 
そんな、おばあちゃんの気持ちが伝わってきた。 
 
自分が子供の頃にも、 
こういう、見えなかった愛情があったんだろうな。 
そう言っている今も、たくさんあるんだろう。 
 
 
 
休日の電車の中で寝ている(ように見えている) 
管理人は、そんなことを考えていたーーー。 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここで話は終わらない 
  キレイにまとまりそうだけれど終わらない 
    ドラゴンボールのようにもうちょびっと続きます 
 
 
 
 
 
 
 
 
つは、 
電車のおばあちゃんに出会う前日、 
いわゆる昨日、偶然、愛情について考えていた。 
 
 
愛情といってもなんてことはない。 
 
 
「料理は愛情」 
 
というコピーについてね(汗) 
 
 
 
ひょっとして「料理は愛情」という言葉は 
作る側だけじゃなく食べる側にもかかっているんじゃないのか? 
とね。 
 
 
 
 
例えば、妻の手料理「ビーフシチュー」を食べる。 
そして「美味しい」と言う。 
 
ほんとにまずかったら他の言葉になるだろうけど、 
たいていは褒めるよね。そして感謝する。 
 
 
これが正直な感想だったらどうだろう? 
 
妻の手料理「ビーフシチュー」を食べる。 
そして夫が感想を言う。 
 
 
「この間、食べた店より煮込みが足りない感じがするなぁ。」etc 
 
 
妻は言う「3時間も煮込んだのよー。」 
 
 
夫はこう応える「あの店は24時間も煮込んでいるらしいよ。」 
 
 
妻「・・・」 
 
 
 
これでは、妻はもう作ってくれないだろう。 
頑張って作ったかいが無いというものだ。 
 
 
作り手は愛情を込めて作る。 
食べる側も愛情を込めて食べる。 
料理の感想も愛情のある感想にする。 
 
 
これが「料理は愛情」の真意なのではないのか? 
 
 
 
 
、まぁ、説明しててあれですが 
 
こんなことを考えていたわけです。前日ね。 
ほんといつもどうでもいいこと考えてるんだよねー 
 
 
その翌日に電車でおばあちゃんの会話が耳に入ってきたもんだから、 
余計におばあちゃんの愛情が心に染みたのかも知れない。 
 
いや、ほんとにおばあちゃんに申し訳ない。 
こんなのがこれからの日本を背負っていくんだから。 
 
 
見知らぬ、どこかのおばあちゃん。 
まだまだ長生きしてください。ぺこり 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後に、サイズブログなんで恒例のサイズを。。。 
 
 
 
 
って、いやいや、 
測るなんてヤボだね 
 
愛情は無限大
 
と、ゆことで 
おはり☆ 
 

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